9月22日夜半。オヤジは豪雨の音で目を覚ました。
秋のシルバーウイーク後半で、飛び石の金曜日に有給を取れば、4連休になるその前の晩である。
 暗澹たる気持ちになる。
 実は明日から今シーズン最後の渓流釣りに、奥只見にある湖へ流れ込む只見川本流へ、産卵のため遡上するであろう、湖産のサクラマスを釣りに行く計画であった。勿論釣り堀ツアラーを名乗るオヤジであるので、愛機、アフリカツインで出撃する予定なのだが、秋雨前線が停滞し、酷い雨が降っている。
「いっそくじけて車で行くか」オヤジはそう思い、夜半に起き出して、パソコンを立ち上げる。気象庁のHpを呼び出して、雨雲のチェックをする。画面に出された雨雲は、絶望を予感させるものであった。
 新潟県を雨雲が縦断するようにあって、それが南西の方向から上越、柏崎、長岡と、雨雲の厚い領域が次から次へとつながっていた。どう考えても雨は一日続きそうな案配で、しかも新潟県の広い範囲に、『大雨洪水警報』なるものが発令されている。なおかつ悪いことに、尾瀬付近、只見川の源流にあたる付近なのであるが、パソコン画面は真っ赤に表示されていて、そこには大雨洪水警報が発令されるに相応しい雨が、この夜半前から降っていることを示していた。
 これでは車で出かけたところで、満足な釣りはできそうもない。どころか、生命の危険までも感じさせる。
 オヤジは夜半のパソコンをヤケ気味に閉じた。気象庁を恨んでも仕方ないのであるが、「よりによって」とつぶやき、その後メディアでは使わない俗語で、気象庁を罵ったことは、言うまでもない。
 気象庁に恨み言を言ったところで外の雨は止んでくれない。天気予報によれば、この雨は明日夜には小康になるとのこと、明日の出撃は見送り、明後日の早朝に出撃を延期することに決め、その晩は眠い目を閉じたのであった。

 9月24日朝。昨晩も細かく雨は降り続いていたようである。朝の路面は濡れている。空は曇って、時折厚い雲が散見された。所によっては雨が降っていることだろうが、幸いにして自宅付近の雨はあがっている。出かけに雨の中を走るのは嫌なものだ。どうしてもやる気が削がれてしまう。道中で雨に遭うのは仕方がない。それは「バッカやろう」と小さく毒づいてから、渋々と雨合羽を引っ張り出して、のろのろと着てしまえばいいのである。よもや道中で雨に遭ったからといって、そこから引き返そうとは思わない。ところが出かけの雨には、いとも簡単に諦め
てしまう前科を持つオヤジなのである。
 自宅付近は雨が降っていなかったことで、オヤジはアフリカツインに火を入れた。アフリカツインの排気音はやかましいので、早朝エンジンを暖気すると近所迷惑になる。きっと「隣のバカオヤジ」呼ばわりされているだろうとは思うが、それなりに隣近所へ配慮して、アイドリングを重ねることなく、エンジンをかけてすぐにギアをいれて出発する。
 濡れた路面を出発したアフリカツインは、国道252を小千谷に向けて走る。朝飯を食わなきゃならないので、わざわざ小千谷から二区間を走るために高速に乗る。自宅近所にも牛丼チェーン店の早朝に営業している店はあるのだが、この朝は天ぷらうどん、暖かい天ぷらうどんが食べたかったからである。
 高速の越後川口サービスエリアへ入り、二輪車の駐車スペースへアフリカツインを入れた。さすが秋のシルバーウイーク中である。平日の早朝にもかかわらず、関東ナンバーのバイクが2台。新潟ナンバーの青いヤマハが1台止まっていた。みんな荷物を括り付けた旅人仕様である。関東ナンバーの2台は、一昨日の大雨の中を走ったのだろうか、荷物は厳重にビニールが被さっていた。
 サービスエリアでは念願の天ぷらうどんを、天玉うどんに変えて頼み、備え付けの唐辛子をたっぷりとかけて、口に入れる。と、唐辛子が気管に入ったか、むせて大きく咳き込み、鼻からうどんの汁まで垂らせた。どこで釣り堀ツアラー旅日誌の読者がいるか分からないので、慌てて辺りを見回すも、こちらを注視している影はおらず、それでひとまず安心して、残りのうどんを一分以内ですすり込んだ。
 高速のサービスで食べるソバ・うどんの類は、どこでも同じ味だ。サービスエリアではどこでも同じなのだが、田舎町ではめったにお目にかかれなくなった。駅前の立ちソバ屋がつぶれたせいだろう。オヤジは時折あのB級以下の味が食べたくなり、高速のサービスエリアで天ぷらうどんを食べるのである。
 おっと、無駄話が過ぎたようだ。
 とにかくオヤジは先を急ぐかのように、鼻からうどんの汁をしたたらせながら、うどんを一分以内で完食して、サービスエリアを後にするのであった。
 これから小出インターで高速を降りて、国道352を枝折峠に向けて走るのである。気温は16℃あるかどうか、先週までエアコンをガンガンと利かせてそれでも暑いとこぼしていたのに、ほんの数日で暖房が必要かのように寒くなっている。これから向かうのは奥只見。名にし負う豪雪地帯で、標高は700メートルを超える。この辺りより確実に4~5℃気温が低いはずなので、もしかすると枝折峠は雪かもしれない。そういう妄想すら頭に浮かぶのである。
 高速から降りた国道352は、早朝ということもあり、空いていた。時折散見される車を2~3台ごぼう抜きする。するとまた前方に車。それも抜く。今度はトレーラー。これも抜いた。追い越しは、追い越し可の車線でしかやらないが、見えた車を追い越すのに、なんらためらいもないオヤジは、善良なドライバー諸氏の迷惑な存在であることに間違いはない。



 大湯の温泉街を抜けるといよいよ車線が細くなり、枝折峠にかかるクネクネの道にかかる。朝方降った雨で路面に落ちた枯れ葉が濡れており、そういう枯れ葉がなぜかクネクネ道のカーブ毎に堆積している。
 危険極まりないのである。バイクにとっては地雷と同義のトラップになる。おかげで慎重になってゆっくりと走るので、景色を十分に堪能できた。
 トラップだらけのカーブを抜け、時折振り返ると、今上ってきた道が眼下に見えるのである。よくもまあオネオネと曲がりながらここまで登ってきたものだと感心する。紅葉にはまだ早い。右手すぐにそびえる越後駒ヶ岳も色づいていない。しかし所々ナナカマドや漆が色づいて、秋の訪れを感じさせるところではある。
 登りのきついブラインドのカーブを曲がる、左手に存在感を誇示してきた山肌が、突然と消える。そのカーブを抜けたところが、枝折峠だった。



 ここから見る眺望は素晴らしい。この日は曇天の空で、見通しは良くないのだが、遠く日本海まで見える気がする。オヤジは眺望を楽しみつつ、誰もいない枝折峠でしばし休憩。タバコを3本灰にする。
 駐車場には車が3台止まっていたが、駒ヶ岳へ登山する方の車らしく、車中には誰も乗っていない。通り抜ける風は湿気を含んで密度を増し、バイクで走ってなくとも冷たく感じる。
 眼下には登ってきたオネオネの道がある。昔銀鉱を求めて大勢の男達が、この道を通って銀山平へ抜けたのだと思うと、人の欲深さにほとほと感心する。今こそ舗装されて、曲がりなりにも車もバイクも通れる道であるが、昔、このような道は大勢の人間が通り歩きするようなものじゃなかっただろうと思う。峠の反対側は静かな隠れ里。そこへこの道を通って、欲深い男達が押し寄せたのだ。
 考えてみれば、この時期の遡上サクラマスを狙って峠を越えようとするオヤジも、欲深い存在ではある。わざわざ山の奥深くへ分け入らなくともいいものを、そうしようとする衝動を抑えることの出来ない釣り人は、銀の鉱山を求めてさ迷う山師と、その本質は変わらない。
 さてさて枝折峠でのんびりと時間を費やしている場合ではない。休憩をしている間に、オヤジが釣るはずだったサクラマスを、何処かの誰かに釣られてしまうかもしれない。欲深い釣り人は、俄に焦りを覚えるのであった。ここから奥銀山までは、奥只見湖を周回する道をここまで来た道と同じように、いや、それ以上にオネオネと曲がりながら行かなくてはならない。だから直線の距離はないのだが、実距離はその数倍にわたる。記憶によれば、1時間ともう少し、いや、それ以上だったか、今時間は8時30分である。現地へ到着を10時とすれば、テント設営や
らを考えて、釣りが出来るのがお昼を過ぎてしまう。急がねばとオヤジは思うのであった。
 ここからは一気に山を下って行く。道幅は少し広がり、来た道よりは安全に下っていける。
 いくらも走った感じがない内に、銀山平へ降りてきた。北ノ又川の橋を渡る。北ノ又川の水は澄んでいた。一昨夜の大雨でも、その水は清らかだった。それをチラ見して、オヤジは堪らずに橋のたもとにバイクを止めた。橋に戻って北ノ又川を覗き込む。ただし、水の清らかさを愛でるためではなく、サクラマスかイワナが遡上していないかを確かめる釣り師のイヤらしい目で、川を舐めるように見るのである。まるで女風呂を覗く痴漢のように。
 そのイヤらしい視線の先にはには、サクラマスもイワナもいなかった。ただジンクリアに輝きをたたえた大量の水塊があるだけだった。オヤジは自然の美しさに心打たれることなく、「なんだ、いねえや」と独りごちて橋から離れるのである。銀山平まで来たオヤジは、アーティストではなく、あくまでも釣り師だった。
 オヤジがアーティストだとは読者諸君は誰も思っていないだろうけど、何を隠そう、オヤジはアーティストなのだ。ただし多芸不才。絵も描くし文も紡ぐ、ハーモニカも多少は吹くけれど、どれも人様にお見せするような代物ではない。芸はするが才能がない。これを称して多芸不才という。
 また無駄話をしてしまった。紙面がかさむので先を急ぐ。
 などと橋から川を眺めていると、遠くから大型バイクの排気音が響いてきた。枝折峠から下りてくるバイクのようだった。橋のたもとでその音を聞く。オヤジはしばしバイクが降りてくるのを待っていた。
 そのバイクは、川口のサービスに止まっていた青いヤマハのバイクだった。ダンディムシートに括り付けたツーリングバックに見覚えがある。
 世の中数々の道があるのに、なんで山の中のしかもオネオネと曲がりくねった道を選ぶの? オヤジは自分を棚に上げて、そう不思議に思うのであった。
 そのバイクを見送って、オヤジはタバコに火を点けた。連んでいるわけではないから、すぐ後から追いかけることを、なんとなく控えたからである。見知らぬバイクと同じ道を同じ方向に走るというのは、嫌な感じがする。バイク乗りは一人遊びが好きな連中が多いから、向こうもそういった感情は持っているだろう。オヤジはそう思って、タバコ一本分を灰にする時間だけ待った。
 タバコを一本灰にして、奥只見湖を周回する道を走る。この道、高低差はさほどないのだが、湖の形状に沿って、オネオネと曲がりくねる。沢が流れ込んでいるその沢を、几帳面にトレースするから、さっき走った道が、後方の対岸すぐに見えたりする。
 ところどころ道上に小沢が流れていて、それは側溝として道の下にあるのではなく、もろに沢が道を横断している。ここ数日の雨により、その小沢ごときも、生意気に5センチの水深で、滔々と流れている。
 それが山側へ向かうカーブの頂点付近に大概あって、そちら方向へ向かうカーブは気をつけないと、えらいことになる。水にハンドルを取られるばかりではなく、不注意に突っ込むと、全身びしょ濡れになってしまうからだ。
 小沢を抜けた直後の路面には、先行しているバイクが付けた水跡が残っている。だんだんと前を走るヤマハの青いバイクに近づいているらしい。
 いっそ、追いついちゃうか。オヤジはそう思うのである。「ちょっと真剣に走りましょ」そう思って走り出したら、すぐに追いついてしまった。
 青いバイクは後方にオヤジがいるとは思いもしないらしい。安全運転でカーブ毎にバイクが転けるんじゃないかと思うほどスピードを落とす。そのすぐ後を、抜かず離れず着いていくオヤジ。嫌なヤツではある。
 しばらくそうして走っていたら、青いバイクは、オヤジをバックミラーで発見したらしく、ビックリしたようにバイクをふらつかせた。そして路肩により、スピードを落とす。
 オヤジはそれに余裕の左手を挙げて、その右を追い越して行くのであった。追い越した手前、無様な走りは見せられない。少しスピードを上げて、カーブをバンクさせて走る抜ける。少しビビリながらではあるが……。
 馴れてきたのか、次から次へと迫り来るカーブをバンクさせてヒラリヒラリと躱すように抜けていた。楽しくて口元が思わずほころぶ。自分はバイクを思うように操っているという錯覚すら覚えるのである。
 罠はそういう絶頂時に仕掛けてある。仕事も然り、人生も然り。見つからないと思って浮気をしていると、どんなに注意深くしていても、必ず奥様にばれてしまう。そういう無駄話はさておき、
 オヤジのバイクは小沢を抜けたところで、ピシッと滑ったである。雨で流れてきた山砂が道へ溜まっていて、そこへ前輪が乗ったのだった。
 大きくバランスを崩したオヤジは、そのまま山肌へ激突。炎上。
 となれば喜ぶ人は多いだろうけれど、主人公は強い、運もある。真横へ数センチ移動してかろうじて転倒せずにカーブを抜けることができたのであった。冷や汗数滴がこめかみを流れ落ちる。金玉はすっかりお股へ収納されてしまった。
「あぶない、あぶない」濡れた落ち葉ばかりを気にしていた。それを踏まぬようにとは思っていたが、濡れた山砂というトラップも用意されていようとは、なんともおっかない道である。
 ということで慎重になったオヤジ。中ノ又沢へ曲がって行くカーブで見つけた、



という神社をお参りする気になった。行き過ぎたのをわざわざ200メートル戻り、神社の駐車場にバイクを入れる。
「道中お助け下さり、ありがとうございました。ついでにサクラマスも釣らせてくださりませ」
 お賽銭を100円投入し、お礼だけではなく、お願いまでもしてしまう強欲ぶりには、自身も呆れてしまうところである。
 その駐車場でタバコを吸っていると、先程追い越したバイクが通り過ぎて行く。手でも振ろうかと身構えたが、オヤジの印象が悪かったのか、その青いバイクはオヤジをチラ見することもなく、完全にシカト体勢で通り過ぎる。「ならばもう一度抜き返す」とは思わない。そこまでやってしまうと、完全に彼との人間関係は崩れる。「袖振り合うも多生の縁」と言うではないか、前世のいずれかの時に、彼とは出会っている可能性がある。他日、あの世へ還った時、彼と相見えるかもしれない。その時、「奥只見湖の道ではお世話になりました」といわれでもしたら、
大きな穴を掘って、その中へ入らなくてはならなくなる。そういうことはご免被りたい。
 オヤジはそこでもう一本タバコを灰にして、ゆっくりと出るのであった。目的のキャンプ場は、中ノ又をぐるりと回って、登り、そしてトンネルをくぐったすぐそこだ。時間にすれば15分足らずであろう。ここまでくれば急ぐことはない。
 
 奥銀山キャンプ場は、小白沢ヒュッテという小屋が管理している。林の中の何も施設のないキャンプ場だ。
 ここは国立公園の中にあるので、そこかしこでキャンプはできない。許可された場所だけでキャンプができる。奥銀山キャンプ場は、キャンプが許可されているというだけのキャンプ場で、サニタリーだの、電源だの、シャワーだバンガローだのはない。あるのは清水が出っぱなしの蛇口だけ。あとは雑木と草むらと湿った地面である。



 オヤジは適当な場所にテントを張った。道から見えるようで見えなくて、なるべく水平な地面である。
 昼食用の袋ラーメンでも煮ようかと思い、テントの中でゴソゴソと道具を準備していたら、視界をよぎる小さな虫。それは無視することのできない虫だった。
 この辺りは藪が多い。外気温10前後かと思えるのにも係わらず、ヤブ蚊がわんさか湧いている。寒いからいないとは思っていた。まさにヤブ蚊から棒である。
 防虫剤をなにも用意していなかったオヤジである。藪から棒に出現したヤブ蚊に追われるように、テントを逃げ出した。こうなれば、昼飯抜きで釣りをするのだ。
 小白沢ヒュッテの主人が言うには、今日の川の状態は絶望的なのだそうだ。一昨日尾瀬に大量の雨が降って、それが一気に流れ出ており、水色は濁って最悪とのことだった。それと今シーズンは夏が暑く、湖の水位が落ちきって、サクラマスの遡上が見られていないとも付け加えていた。
 釣りには昨日があって明日があって、今日という日がない。これはこの奥只見湖で釣りをした、高名な小説家が言った言葉である。まさにその通りだった。昨日は釣れた。明日は釣れるだろう。だが、今日は釣れる日ではない。明日になればまた今日になるので、明日もまた、釣れる日ではないのである。
 小白沢ヒュッテの主人の言葉に、オヤジは肩を落とすかと言えば、そうではないのだ。釣れないと言われることは、日常茶飯事。オヤジは釣れる場所と時で釣りをしたことがないからだ。それはそういう場所と時は、人も大勢来るからで、釣りはなるべく一人で静かにをモットーとするオヤジには合わない。自ずと釣れなそうな所で、釣れなそうな時間に釣りをすることになる。
 だからそういうことには馴れている。
 オヤジはアフリカツインに釣り道具を積み、釣り場を探してゆっくりと道から時折垣間見る川を見下ろしながら走る。国道が只見川を渡る金泉橋までは、釣り人の姿は見えなかった。そこから上流へ行くと、国道の駐車できそうなスペースには、時折車が止まっていた。車には釣り具メーカーのステッカーが貼ってあり、釣り人であることを誇示している。オヤジは車にはステッカーを貼る趣味はない。だが釣り具メーカーのステッカーを貼ることは、ここで釣りをしてますよと、後続の釣り師に教えてあげるということでは意味があるように思えた。オヤジも行きつ
けのフライショップのステッカーを、バイクに貼ろうかしらと思うのである。
 まさかバイクで釣りをしているオヤジがいるとは、一般の釣り師は思わないだろう。それでバイクが止めてあっても釣り場まで降りてしまい、バツの悪い思いをする。ということはあり得るかもしれない。まあ、そういう余談はさておき、いざ釣りである。いや、その前にやっぱり腹が減って、尾瀬口のレストランで牛丼を、これも唐辛子をタップリかけてむせながら食べたことを、余談ついでに付け加えておく。またまた余談ながら、そのレストランで、越後川口サービスエリアに止まっていた、関東ナンバーのバイク二台に遭遇したことも付け加えておく。
 


 只見川は小白沢ヒュッテの主人が言うほど檄濁りではなかった。褐色に濁っているというより、褐色の絵の具を溶かしたような水の色だった。水量は川幅いっぱいに流れており、川通しに歩ける距離はいくらもないように思える。
 オヤジは釣りをさせていただきますと、二回柏手を打って、とりあえず小物でもと思い、フライはアントのウエットフライを結んだ。川は幅いっぱい滔々と流れており、流れの緩やかなポイントを見つけながら、ゆっくりと釣り下る。
 川岸のほんの浅い水たまりのようなポイントにウエットフライを入れたら、釣れた。



 目刺しサイズのイワナである。本流は流れが強く、定位できないのだろう。足元の水たまりにいた。こういう場所を攻めれば、このサイズの数は出るのかもしれないが、オヤジはこれを釣りに来たのではない。産卵のために身重の腹を抱え、決死の覚悟で登ってくるサクラマスが釣りたくて来ているのだ。
「一匹と十匹では十倍の差でしかないが、一匹とゼロ匹とでは無限大の差がある」これもかの高名な小説家が言った言葉である。言い得て妙で、目刺しごときであっても、一匹を得るのとそうでないのとは、雲泥の差がある。だからこの川での一匹を、釣り開始早々に釣ったのだ。これからはこのサイズはいらない。
 オヤジはウエットフライで釣ることをやめた。フライをこの日のために作成した、赤系のヒラヒラした大きな物に換える。このフライはウエイトがガン玉2Bと同じくらいあり、根掛かりしにくい。普通フライフィッシャーは、こういうフライは使いたがらない。それはフライフィッシャーとしての矜持に係わるからだ。だがオヤジの矜持は地に堕ちている。餌さえ使わなければ、何でもありなのだ。
 そのフライを岩の後の暖流帯や、少し深くなっている所や、瀬で周りより緩く流れている所、特に頭上に木が被さっているような緩い流れを重点的に流す。一場所に時間をかけてじっくりとやる。ポイントの脇に突っ立つようなことはしない。常に腰を屈め、時には岩に貼り付き、時には腹ばいで流す。
 そこで気がついた。これでは時間がかかりすぎている。金泉橋の下手に入って釣り下り、そこより下れなくなった。そこまでおおよそ300メートル。それを下るのに、3時間もかかっている。これでは効率が悪すぎる。これからは、サクラマスが潜みそうな大きな淵だけを狙うことにしよう。そう反省するのである。
 オヤジは一端川から上がってバイクにまたがり、川へ降りられそうなポイント探してゆっくりと走らせる。とは申せ、雑木林が茂っていて、道から川を見通すことが出来ないのである。そこに良い淵があるかどうかは、川に出るまで分からない。
 えーいままよ。とりあえず踏み後のある駐車スペースにバイクを止め、踏み後をたどり川へ降りてみる。
 降り立った所から眺めてみれば、よさげな淵が下流へ見えた。そこへたどり着くまでの途中にも、よさげに見える小さなポイントはある。
「大きな淵のみに絞ろう」そう思っっていたオヤジたが、やはり山っ気は抜けない。それらもおざなりではあるが、流してみる。歩く足元から、イワナの7寸くらいのを蹴散らし、それを見て、ウエットフライに換えようという誘惑まで沸き起こる始末だ。いかんかいんと頭を一つ振り、その誘惑にグッと耐えるのである。
 来年この川へ来るとしたら、ロッドは二本もってくるべきだ。一本はウエットフライ。一本はサクラマス用の大きなフライを結んでおく。普通はウエットフライの方でやりながら、大きな魚体を探す。大きな魚体を見つけたら、そこで一時間でも、いや一日かけてもいい。サクラマス用のロッドに換えて、それを狙うのである。そう思いながら目指す淵へと近寄って行くのである。
 その淵へにじり寄り、そこを本日のラストステージと決める。
 流れ込みは白泡だって、手前に強い流れがあり、それが対岸の岩盤へぶつかって、開きへ流れて行く。開きは水深が膝よりありそうだ。対岸側が強く、こちら側は緩い。その開きがフライではやりやすいとは思うが、魚が潜むのは、やはり流れ込みだろう。白泡があり、流れの強いのは恐らく表層だけだ。落ち込む底は意外と流れてはいないはずだ。サクラマスが潜んでいるとすれば、その白泡の下にいる可能性が強い。だがフライフィッシングでは、表層の強い流れにラインを喰われるから、釣りづらい場所だ。
 オヤジは魚に見つからないように身を低くして落ち込みに近寄る。竿下でしか釣りにならないだろうから、そこへ静かに近寄らなければならない。キャスティングの技術やラインコントロールで上手く流す自信はない。
 竿下からゆっくりとフライを白泡へ入れ、流れのままに流し出した。黄色いフライラインが流れの中へ吸い込まれて行く。それを緩めないように流し出す。
 魚が触れる感じはしなかった。この場所に魚がいないわけがないのだ。サクラマスはいなくとも、イワナはいるはず。大きなイワナなら、サクラマス用のイヤらしいフライを喰ってくれるかもしれない。そういう期待を込めて、何度もライン長を伸ばしながら送り込んだ。少し送って止めて探り、また送って止めて探る。
 グッとラインが重くなった。大物がフライを咥えた感触に似ている。
 オヤジはラインを手繰り、ロッドを起こす。重たさがロッドに加わり、弧を描いて曲がる。段々ロッドが起きてくる。ラインが左右にゆっくりと走る。
 これは大きなイワナが掛かったときの暴れ方に似ていた。これが魚なら絵になると、ことさら慎重になり、ゆっくりとロッドを起こす。
 その先に上がってきたのは、大きな枝だった。枝は水流の抵抗を受けて、左右にゆっくりと動いている。まるで大イワナのように。
 それからも枝は釣れ続いた。大物の枝は、最初に釣れたやつだった。フライは思い通りに底近くをトレースされているのだが、釣れるのは魚ではなく底に溜まっている枝だった。
 終いには、何処かへガッチリと根掛かりしてしまった。こういう場所では軽めのフライを使うべきだ。とろが今手持ちのサクラマス用のフライは、重たい物しかない。次回は数種類のウエイトのものを用意すべきだろう。また反省点が増える。
 オヤジは枝の入れ食いになった淵の頭を諦めて、開きへ移る。開きは通常のパワーウエットのように、扇状に探る方がよさそうだった。だから50センチ刻みで扇状にフライを流してみる。
  フライは流れに押され、ゆっくりと横切る。姿勢を低くしているが、流れを横切る派手なフライはよく見えた。こういう場所へ大物が潜むのなら、じっくりと観察していれば見つけることができるだろう。オヤジはフライが横切るのを確認しつつ、魚を見つけるべく視線を走らせる。
 その開きでは魚を見つけることはできなかった。大物どころか、小物ですら見えない。この川の魚は淵にはいないようだ。今日は増水しているため、普通の場所にはいないのかもしれないが、いずれにしても魚影は少ない。魚野川の方が魚を見つける回数は数段に多いように思う。
 秋の夕暮れは早い。まだ日暮れの時間ではないが、河畔林に囲まれた川面は暗くなってきている。今日の釣りはこれで終いにするつもりだ。日が落ちて完全に暗くなると、帰り道を見失う。それにキャンプである。晩飯は自分で作らねばならない。といっても、フリーズドライ食品ばかりなのであるが、それでも自分で作らねばならない。
 オヤジは川より上がりテントサイトへ戻った。日が落ちるまであと一時間はあると思うのだが、林の中のサイトは日暮れ時だった。その暗がりで、フリーズドライ食品の調理説明書きを裸眼で読む。歳を取ると、薄暗い文字を裸眼で読むことは拷問に等しい。頭痛がする。
 そんなこんなと文字と格闘しつつ、メシを食ったのは平地の夕暮れ時だった。平地では薄暗い程度だろうが、ここはすっかり夜になっていた。
 粗末なご飯だが、妙に美味い。フリーズドライのご飯はメッコ飯の舌触りがして、どうにもうなずけないものを感ずるが、それでも美味い。ただし、オヤジは年寄りなので、何を食ったかは忘れてしまった。
 キャンプの夜は静かだった。風が木の葉を揺らす音。川の水音。そういった自然の音しかしない。ソロはいいと思う。パートナーを気遣うこともなく、静かに思索に浸ることが出来る。
 静かな思索と言っても、考えることは下らないことだ。日常のつまらないこと、気に掛かることは、ここまでも追いかけてくる。それらは気を緩めると、途端に思考の端から浮かび上がる。淡々とあるがままに生きていればそれでいいとは思うが、行く先の心配の種は尽きない。50を過ぎているというのに、煩悩の塊なのである。
 夢も希望も持たなければ、明日からホームレスでもかまわないのだろうが、サクラマスを釣りたいという煩悩におかされ、気温10℃を下回っているキャンプサイトで寒さに震えるオヤジは、そのような聖人の心境とはほど遠い。
 それにしても今夜は9月の気温ではない。吐く息が白いのだ。先週のあの暑さに比べて、今夜の寒さはどうだ。平地では12月でもここまで寒くないだろう。
 オヤジはバイクに乗れる格好で寝袋へもぐり込んだ。オーバーパンツを通して、冷気が下半身を襲う。寒くて熟睡できず、何度も目を覚まして悶々とする。
 8時前に寝袋へ入り、起きたのは6時前だった。だから都合10時間は寝たことになる。寝たと言っても、横たわっていたということで、熟睡はしていない。下半身が冷えて、眠れない。とても下ネタをこく気にはなれないのだ。なぜなら、下半身は冷えて寝ていないから。これを略して、下寝てない。下ネタない。ということになる。おっと、余談をこいている場合ではなかった。起きたら6時である。辺りはすっかり明るくなっていた。本日は土曜。うかうかしていると少ないポイントを、他所様に先行されてしまう。
 オヤジは朝飯を省略し、バイクに跨った。昨日目をつけていた淵へ急ぐ。そこは生憎、釣り人らしき車が止まっている。仕方なく上流へバイクを走らせる。その上流少し行った所に、無名の小さな橋が架かっていた。その橋上から川を眺めたら、下流へ良さそうな淵を発見する。そこには誰もいない据え膳のような淵があった。据え膳喰わねば釣り師の恥である。



 とにかく先に入られてはならじ。駐車スペースを探すのももどかしくバイクを止め、焦って支度を整え、駆け足に近い速度で歩く。焦るほどでもなかっとは思うが、気がせいて仕方がない。これはオヤジの悪い癖で、とにかく慌てる。一つのことがインプットされると、それだけしか目に入らなくなり、慌てまくる。そういう時は餌に夢中になっている犬と一緒で、気が立って危なくてしょうがない。
 イギリスの釣聖アイザックウオルトンは“Study to be quiet”「おだやかなることを学べ」と言った。まさにその時なのだ。過去良い釣りをした時は、あまねくそうだった。ゆったりと支度を整え、ゆったりと歩き、ゆったりと川を観察した。顔はあくまでも穏やか、口から出る言葉は、元気に満ち溢れるものだった。
 ところが今朝は違う。腹は減っているし、寒くて眠れなかった頭はボンヤリと曇っている。躓くように急ぎ、川を観察する前にフライを結び、老眼にむち打ってやっと結んだフライを、間違えて切ってしまう。やることなすことちぐはぐだった。こういう時はゆっくりとコーヒーでも飲んでからやり直す方がいいに決まっている。オヤジがそうしたかと言えば、そうではない。やっと見つけた縄張りを荒らされてなるもんかといきり立つ、穴ごもり前の熊のように、淵を目の前に鼻息を荒くしていた。
 オヤジはフーフーと息を荒くしながら、淵の流れ込みからフライを流す。
 流れ込みは二手に分かれていて、オヤジが立つ左岸側から三分の一、真ん中から向こうに三分の二が流れ込んでいた。対岸側は真ん中の流れが邪魔になり、フライでは難しい。
 手前の流れと真ん中の流れは、流れ込んですぐにある岩を回り込んで、こちら側で合体している。その辺りの水面は怪しい感じがする。釣れるとすればその辺である可能性が高い。
 オヤジは巣ごもりの熊のごとく、フーフーと鼻息を強くしてフライを流しこむ。自分は動かずに少しずつラインだけを伸ばして行く。そして誘う。
 流れ込みの岩の後ろを、フライがトレースしているときだった。コツっと軽くアタリがあった。小さな魚だろうとは思う。大きな魚なら、自分の体重で針に掛かっているだろう。かな? もう一度と、何度も同じ場所を流してみたが、当たりはそれだけだった。
 ラインを伸ばし、自身も下流へ移動して、流れ込みがぶつかる怪しい水面を流してみる。そこはフライラインさえも引き込まれるように沈んでい行く。これが沈み波か。水面に持ち上がった水流が、底へ沈んで行く波があると言う。それを目の当たりにするのは初めての経験だった。
 釣れそうな予感。オヤジは少しずつラインを伸ばして行く。5センチ、10センチ、15センチ。息を詰める時間が過ぎて行く。しゃがんでいる足がしびれる。
 一つのラインを流して、扇状にこちらまでトレースさせ、隣のラインを流してみる。そうやってじっくりと釣りをした。フライも換えてみた。姿勢が辛くなったから、それも変えた。
 でもしかし、釣れない日は何をやっても釣れない。アタリは最初にあったコツっだけ、その後はそれすらもなかった。
 この淵を最後までやりきりったが、釣れる魚はいなかった。
 向こうまで30メートルもあるような大きなプールではない。8メートルの餌竿で、全部さぐれる程度の淵である。大きな魚がいれば見えると思い、そこをじっくりと観察した。じっと動かずに15分は見ていたと思う。でも見えなかった。「ここには大きな魚はいない」そう結論づけてもいいだろう。この結論に、かな? を付け加えておくが、小白沢ヒュッテの主人が言うように、今年の猛暑はすざましく、パスタイムの魚のみならず、奥只見の魚までおかしなことになっているのだろうことは間違いない。
 その後、場所を移動するも、秋のシルバーウイークの土曜日である。大きな淵にはそれぞれ長い竿を持った餌師が刺さっていた。彼等を観察するに、釣れている気配はない。気温こそ平地の真冬並に下がったが、魚にとっての季節は、夏のままなのだ。
 オヤジはお昼を前に、この川を退散することにしたのである。目刺しサイズとはいえ、イワナを一匹釣っているので、ボウズではないことを、誤解のないように言っておく。
 魚釣りはさしたることはなかった。それで釣りを楽しまかったかと言えば、そうではないのである。釣りにならなかった。そういうことなら、楽しむことはできなかっただろう。それなりの場所でそれなりのフライフィッシングができたと思うので、魚が釣れなかったのは、時の運とすることができるのでは、かな? 妙にかな? が多い気がするが、そういうことなのだ。だからよいのだ。
 ということで、テントサイトを撤営し、バイクに積み込んで、奥銀山を後にするのであった。来た道、オネオネと曲がって行く道を引き返すのはイヤなので、尾瀬口から檜枝岐へ抜けて、田子倉湖を回って帰ることとするのだった。



 尾瀬口までは峠を一つ越さないとならないのである。道は只見川から離れ、峠の頂点に向かって、やっぱりオネオネと曲がりくねって行く。
 つい先だってまで雨が降っていたのか、道は湿っている。対向車線を走るバイクとすれ違ったが、彼等は雨具をつけているようだった。峠の向こうは雨かもしれない。ほんの少し、一キロと離れていないと思うが、そこで釣りをしていたときは曇っていたが雨は降らなかった。峠の登りに差し掛かったら、道は濡れているが雨は降っていない。雨雲はオヤジに恐れをなして退散したのかもしれない。だといいが……。
 峠の道は濡れていて、十分注意して走っているつもりだが、カーブでピッシッと滑った。何に滑ったのか分からなかったが、とにかくもっとスピードを控えなければならないのだろう。この道は、行きも帰りも危ない道だった。
 峠を下り尾瀬口を過ぎると、道幅は広がる。オヤジは前を走る車三台を、そこでゴボウの如く抜いた。やがて眼下に檜枝岐川が流れているのが見えてくる。この川はジンクリアだった。この二日、只見川の水を眺めていたが、それは尾瀬沼の色素が融けているのか、薄褐色の水色だった。檜枝岐川は、本当にジンクリア透明の混ざり物がない水の色だった。
 俄に釣り師の本能が身をもたげるのを感ずる。この川でやりたくなるが、時間がなかった。というのは言い訳で、釣る自信がないのである。それに支度をするのが面倒くさい。ということで、川を眺めつつ、ドンドン下って行くオヤジであった。



 昼飯は檜枝岐名物裁ちソバなるものをいただいた。一枚800円。オヤジは二枚喰ったから1600円である。
 これが安いかどうか。二枚で800円なら、これで満足したと思う。店にもよるのだろうが、そば粉10割は認めよう。だが……。この先は批判しないでおこう。美味いとか、不味いとか、なるべく言わない方がいい。出された物は黙って食べる。これが人生を上手に生きる秘訣なのだ。奥様と上手くやりたいのなら、実践した方がいい。出された物は黙って食べる。美味いとも言ってはダメ、不味いと言うのはもっとダメ。ただ黙って食べるのである。
 食堂を出て、ひたすら檜枝岐川沿いを下って行く。この道は自然も風景も素晴らしく気持ちよく走ることができる。なんと言っても追い越し禁止ラインが少ないのがいい。つねに車列の先頭で走ることができるというのは、なんとも気持ちがいいものだ。
 奥只見で曇っていた空は、段々晴れてくる。道もドライになってきた。ツーリング日よりなのだ。オヤジは観光スポットが見える度にそこへよる。



 屏風岩というらしい。地質学的にはどのような経緯でできたものか、あの岩盤には恐竜の化石が埋まっていないかしら。と考え、しばしのその風景に見とれたりしていた。
 ここは国道沿いにあって、これまでオヤジがゴボウを抜くが如く追い越してきた数々の車が、オヤジが岩盤に見とれている間に、全て通り過ぎていった。
「まあいいさ」
 オヤジはそう独りごちて、またアフリカツインで走り出すのであった。
 国道沿いを流れる川は、伊南川と名前を変えていた。随分下ってきたように思うが、その流れは清冽である。そして水量は多い。沿線にはキャンプ場がそこかしこにあって、釣りをするベース基地にことかかない。
 来年、秋のシルバーウイークにまた釣りに来るとしたら、この辺りはいい。何がいいって、流程が長く釣り人と釣れる魚が少ないこと。
 伊南川はヤマメとイワナの川でニジマスはいない。ヤマメとイワナは秋が産卵期だから、9月は釣れない。だから人もいない。それがいい。釣れない釣りをじっくりと、尚かつのんびりとできるからだ。
 道は伊南川沿いにどんどん下って行く。伊南川は呆れるほど流程が長い。その伊南川が田子倉ダム下流の只見川に合流する少し前に、温泉施設がある。オヤジは年寄りだからその名前はすっかりと失念したが、このお湯は赤く鉄の匂いのするものだった。
 オヤジは昨日より冷えた体を、この温泉で温めた。湯船には常連のじいさん達がいて、真っ昼間から温泉に浸かるオヤジを、好奇の目で眺めていたようだが、オヤジはそういった暇じいさんの相手をすることはあんまり好きでない。会話が噛み合わないからだ。だから視線を合わせないように注意しながら湯船に浸かる。
 温泉で体を十分にあたためて、オヤジは出発した。只見の街で左折し、田子倉湖へ上る道へ入る。ここも追い越し可の車線であり、オヤジは予期することなく、車列の先頭に出ている。
 田子倉湖まで登るカーブの連続は、枝折峠から奥只見湖のオネオネ道を経験したオヤジにとって、なんら憂慮するものはなかった。前方を走るハーレー群に追いつき、それに左手を挙げながら、躱して行く。なんだか自分が偉くなったような気がする。そのままの勢いで田子倉湖を周回する。この道は、奥只見湖沿いの道よりも高くを走っており、湖はグッと眼下になる。
 田子倉湖の最後のトンネルを抜けると、そこは新潟県だった。道はくねりながら、下って行く。下ってすぐ、工事をしており、工事信号に止められた車列がつながる。しばらく追い越し禁止になっているので、我慢して後続する。
 破間川が左手に見えてくると、車線も追い越し可になる。オヤジは矯めいていた手綱を放し、アフリカツインを咆哮させて、一気に数台ずつ抜いて行く。そしていつの間にか先頭になっていた。
 それにしても……。気になるのは奥銀山からからバイクで走ってきたのだが、その間何台もの自転車とすれ違った。自転車の列には女子もいる。数列通り過ぎると、また数列の自転車とすれ違った。
 山の中である。半端な峠ではないのに自転車で登ってくるのだ。
 なんだろう? イベントでもやっているのだろうか? それとも自転車の旅が流行っているのか。みんな同じような自転車を、同じような格好で乗っていた。バイクでも尻が痛くなるのに、自転車のサドルでは、今日一日の行程が終わった後、ケツの皮は擦り切れるだろう。いやすでに数枚の皮を交換して、今では太鼓の皮に使えるぐらい厚くなっているのか。
 オヤジはバイクのシートで擦れて外したくなるほど痛む自分のケツと比較して、自転車乗りのケツまで心配するのであった。

 道も行程のほとんどを消化した。国道252から国道292に迂回し、山古志を抜ける。地震の爪痕に目を奪われつつ、小千谷へ入った。自宅まであと30分というところだ。
 もう少しで旅も終わる。振り返ると怒りばかりの旅だったような気がする。天気に怒り、悪い道に怒り、ヤブ蚊に怒り、多い釣り人に怒り、邪魔な車列に怒る。50歳を過ぎているのだから、もっと穏やかであるべきだ。不機嫌な顔は滅多にするものじゃない。軽く見られようとも、不機嫌な顔よりは笑顔がいいに決まっている。
 今回は車列を抜きすぎだ。そう思う。腹立ちがそうさせていた。それは傲慢なことだった。傲慢な行いには、必ず何らかのしっぺ返しがあるものだ。
 あったのである。ようやく自宅へ着いたオヤジ。バイクを車との狭い隙間から車庫へ引っ張り込んでいた。
 ホッとしたのもあるが、やはり疲れていた。なにげに傾いたバイクを止められなかったのである。バイクはゆっくりっと車庫の車に向けて倒れ、そこにあった車のドアを凹ませた。
 最後にはこういう事になる。傲慢さはいついかなる時でも、良いことはもたらさない。でも考えてみれば、この程度で済んで良かった。修理代に数万円は取られるだろうが、お金で済む問題で良かった。

 ここまで拙い文章を、飽きずにお読みいただきましてありがとうございます。
 ちょっと長かったですかね。原稿用紙にすれば50枚強あります。ちょっとした短編小説並です。
 今週は放流ありません。平日空いておりますので、釣れると思います。来週3連休の中日頃に、下の池も再開しようと思っております。是非いらして下さい。
 あ、それから来週の平日は、管理人さんの都合が悪く、全休させていただきます。