世の中、騒々しいですなあ。
秋葉原で連続通り魔事件があったり。
路上で人が殺されたり。
レンタカーで歩行者天国に突っ込んだり。
「おいオヤジィ。みんな同じ事件じゃねえかよ」←その通り。

こいうことをやろうと思い立つアホの魂は、どういう天命を選んできたんでしょうかね?
初めから人殺しになることを選択して、生まれたんだろうかねえ?
それとも、どこかでボタンを掛け違っちまって、いつの間にか人殺しになったのかしらねえ?

マスコミなどの報道を聞いていると、こいつの抱いた不満の原因は、親だったり、少年時代の周囲だったり、本人が選ぶ事のできない要素からもたらされているような気がするね。知らず知らずに人殺しに追い込まれているんだわ。かといって、何も人殺しを選択することはないのにねえ。

与えられたというか、自分が招いた境遇を受け入れることができなくて、何かが違う、本来の自分と今の自分は違うんだと思い続け、その違う自分がいることを全部社会のせいに転嫁する。そんで秋葉原でやっちまたんだわ。

そうじゃねえよ。今の境遇が今の自分に一番ふさわしいんだよ。

と、いつになく暴言を吐くオヤジでありますが、実は少し前まで私も抱いていた不満でありました。いやいや、オヤジはいたって小市民なので、殺人など思いもしませんよ。似たような不満を抱いていたこともあるよってことです。自分はもっと上等な人間だと、勘違いしておりましたのであります。

孔子は「五十にして天命を知る」と言いました。オヤジも来年五十であります。オヤジの場合は、「五十にして身の程を知る」ですな。

人生も五十年生きますと、これからどうなるかぐらいは想像つきます。どう頑張っても我が人生しれたものであります。
でもしかし、それがどうだっての。
たかがしれたところで、どうだっての?
悲しいかい?腹が立つかい?
他の誰かと比べなければ、腹は立ちませんよ。悲しくなりませんよ。
全部私にふさわしい。

生きていればいつか壁にぶつかる。何もしなくても生きていれば試練はやってくる。
黙ってやりゃいいのかなあと思います。不満やら文句を言わずに淡々とやればいいのかなあと思います。
生きているというのは、どこにいても、誰の人生でも、おおごとです。
よく「人は楽しむために生きている」という方がおられます。そうですねえ、困難を楽しめる人にはそうなんでしょうね。
でも私の場合は「やらなきゃならんことをするために生きている」であります。

できれば「生きてるのは楽しい」って言いたいけど、今のオヤジには言えません。
「つれーよ、生きるって」とあえて言わせていただきましょう。
「おい、若い人が読むってことはねーだろうけど、万が一若い人がこいつを読んだら希望を失うよ」
若い人が読んでいらっしゃるのなら尚更いいますよ。
「生きるって、楽しむ事じゃありませんよ。それは多分、生き抜く(耐え抜く)ってことなんですよ」←わかっんねーよ。
希望がなくなったでしょ。テヘヘ、ウソかもしれませんよ~。たかが釣り堀オヤジごときのいうことですからね。

今週もオヤジは欠席します。
日曜日はおります。
お待ちしております。

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